万物理論

万物理論 (創元SF文庫)

万物理論 (創元SF文庫)

万物理論(Theory of Everything)を独立に提唱する3人の科学者が大洋に浮かぶ島に集って、それぞれのTOE完成型を発表しようとする。科学ジャーナリストの主人公はそのうちの一人に的を絞って取材を進めるが、TOEの完成を阻もうとする様々な思想の疑似科学カルトの陰謀に巻き込まれていく。

 感想に影響を与えているかも知れないので、既読のイーガンを列挙(読了順)。

 上に挙げたものでは、実はディアスポラ以外の作品については違和感を覚えるものが少なくなかった。量子力学に基づく多次元世界解釈に極度の不安を抱き、娘を量子的に分裂しない存在にしようとする「ひとりっ子」(『ひとりっ子』所収)の主人公は理解できない偏執的存在としか見られなかったし、全体的に人間存在に関わる技術があまりに容易く受け入れられている様子なども気になっていた(そういう時代を書いてないだけ、という可能性もあるが)。


 オールタイムベストなどを見るにイーガンの中でも最も評価が高いようである本作も、上記の違和感を上塗りする内容だった。
 主題となっているTOE疑似科学カルトだけみても、なぜカルトがTOEの発表にあれだけ大騒ぎするのかが一切理解できなかった。人間宇宙論者は別として、他のカルトにとっては世界の在り方をサイエンスが如何に記述しようと自分たちの存在を脅かすものにはならないはずだし、そもそもここまでマニアックで応用性の期待できない理論にこれだけの人が関心を持つという状況が想像できない。

 TOEよりも個人的に興味を引かれたのは、物語の舞台となる人工島社会ステートレスだった。バイオ企業の特許技術を持ち出した科学者たちがその技術を駆使して大洋に作り上げた島と、その心意気に賛同して世界中から集まってきたテクノ解放主義者たち。国際的バイオ企業による特許支配が始まっている現代において極めて意欲的な設定ではあっただけに、島を支えている驚異的な動的安定性を共有体験とすることのみがその特異な社会を安定させているという薄っぺらい描写で終わってしまったのが残念でならない。

 結局のところ、イーガンは科学に対する一般人の理解・関心を過大評価し、科学が人間・社会をよりよくするという理想を過信しているように思える。それが違和感の正体だった。


 あれこれ言いつつも全体としてエキサイティングな物語に仕上げるのがストーリーテラー・イーガンのすごいところではあるが、ついでに言えばその方向性はSFよりサスペンスに向いているのではなかろうか。