京フェスレポート(本会編・hatena版)

 2時間程度の睡眠の後、本会に突入。週休二日の昨今に合宿先行型は無茶だと思った。

飛浩隆インタビュー

 ずいぶんと詳しくメモをとってあったので、ぐだぐだ書く。質疑の大半はメモを基にした再現なので正確ではないが、内容に嘘はないはず。
 ネタばれ多数なので、いやな人は見ないように。というか、ネタばれがいやな人は書評や感想中心のサイトを見るべきではないと思う。


――飛さんといえば、グラン・ヴァカンスで10年ぶりの大復活を遂げましたが
 あれは、10年間何もしてなかったんじゃなくて、グラン・ヴァカンスを書くのに10年かかったっていうだけなんですよ。それに、グラン・ヴァカンスは『SFが読みたい』第二位、SF大賞候補だったけど、翌年に過去の作品を手直しして出した短編集『象られた力』は『読みたい』一位、SF大賞受賞でしょ。なんか、新しい作品は昔の作品に勝てないのでは……なんて思いました。


――『読みたい』といえば、以前は『空の園丁』が二巻としてあげられていたと思うのですが
 どうもすみません。
 『ラギッド・ガール』は最初、『廃園の断章 ――』にしようと思ったんですが、森岡浩之さんが『星界の断章』で使っちゃったから、ふつうに『廃園の天使2 ――』にしました。


――『ラギッド・ガール』では、『グラン・ヴァカンス』で謎になっていた〈大途絶〉のような情報が明かされましたが
 グラン・ヴァカンスで隠しておいた情報についても、すべて隠すんじゃなくて少し読者に明かしておかないといけないと思いまして。
 あと、結構書きながら設定を作っていくので、グラン・ヴァカンスの当時にはなかったものも結構あります。たとえば、コグニトームなんていうのはグラン・ヴァカンスを書いた後から作られた概念です。


――後書きに、「SF設定の三分の一が決まった」とありますが、まだ半分以上が……
 設定にはいろいろなレベルがあって、たとえば技術的基盤の多くはグラン・ヴァカンスの時点で未定ではあったけど、どうなっても書けるようにしておきました。


――作品についてですが、表題作の「ラギッド・ガール」は
 ラギッド・ガールは、〈廃園の天使〉シリーズとは別に考えていた秘蔵ネタだったんだけど、書いてるうちにこれは使えるんじゃないかと思って使ってしまいました。“ラギッド”は〈廃園の天使〉シリーズ通してのキーワードで、グラン・ヴァカンスにも“ラギッドな世界”のように使ってあります。
 阿形渓とアンナはセットになっていて、阿形渓を書こうとすると、アンナがどんな人なのか書かなければならなくなった。それに阿形渓とアンナの“あれ”はコグニトームがなければ書けなかったですね。阿形渓の中で、アンナのコグニトームを走らせる、と。
 結構、冒頭と最後の“わたし”がアンナのことだと誤解している人がいるみたいですけど、実はどうなんでしょうね。作中では、アンナは“私”、阿形渓は“わたし”を使っています。では、冒頭と最後の“わたし”は? さあ、どうなんでしょう。

 ラギッド・ガールは自分のやりたいことが好きなようにやれまして、自分の最高作だと思います。


――では、「ラギッド・ガール」以降、阿形渓はほとんど出てきませんね
 阿形渓は結構出てきたがらないんですよ。あと、彼女は〈数値海岸〉のメタファーなので、〈数値海岸〉を書いているあいだは書かなくてもいいと。
 「クローゼット」で出てきた浅井たがねについてはまだ十分に把握できていません。そもそもこの作品は『空の園丁』のさらに先の話で、この時点でガウリを本編から離脱させる必要があったので書きました。浅井たがねについてはこれから幾つか書いていかなくちゃならないな、と思っているところです。


――「魔述師」は
 「魔述師」ではグラン・ヴァカンスの疑問の一つへの解答の一部を書きました。ここで〈大途絶〉に書かれているのは真相の一部だけで、まだ書いてないことはあります。
 現実世界が出てくる真ん中の三つの短編を「ドラホーシュ三部作」と読んでるんですが、そういえば魔述師の家にスターバックスの看板がかかってましたよね。では、魔述師は誰なのか……。
 この区界では区界間を行き来する鯨が登場しますが、つまり背後に鯨を管理している存在がいるということで……さて、どうなんでしょうね。

――「魔述師」はすごくチェコ的な世界が描かれてますが、『地球の歩き方』一冊だけでこの世界観を作り上げたとか
 『地球の歩き方』は参考文献として非常にいい一冊ですよ。あくまで観光地という設定だし、表面的な世界しか書けてないですけど、あれで十分だと思ったので。
 基本的に取材旅行とかはほとんどしません。


――単行本収録の際に結構手を入れる方だということですが「蜘蛛の王」は
 「蜘蛛の王」でも少し手を加えてます。最後に「人間たちは、いる」と傍点付きで。これは、「夏の硝視体」で「ここにはひとりも人がいない」と言っているのにあわせたんです。
 ここに出てくる〈父〉が誰なのか、とか人物の対応関係は結構ありますけど、対応関係がわかっても、他にもまだ色々ありますよ、フフフ。


 質疑応答では


――似姿の再生が一回に制限されてることに意味はあるんですか
 商業的理由もあるし、ユーザー側も全く同じ経験なんて2回もしたくないでしょ。


――区界間、現実で時間の流れが結構違うように思うのですが
 違いますよ。グラン・ヴァカンスではそれを制御している“タイム・マネージャー”の存在が言及されてますね。
 でも、1000年はやりすぎたなあ、と今更後悔しております。


――現実に〈数値海岸〉が影響を与えるという描写がありますが、今後現実側の話を書く予定は
 いずれ書きます。たがねとか、ガイルとか。


――〈数値海岸〉と区界はネットとサイトの関係のようですが、92年からの執筆でいつ頃そのことは意識を
 よく覚えてないけど、蜘蛛の糸にウェブと振った頃には意識していたはず。でも、サイトというよりは映画配信のイメージですよ。


――〈廃園の天使〉シリーズ以外の予定は
 とりあえず、『空の園丁』書かなきゃ。

――〈大途絶〉はここまで書いちゃって良かったのか
 書けちゃったものはしょうがない


 最後に、次回作(と予定されてる)空の園丁についての話があった。
 現時点で300枚くらい書いてて、あと3倍くらい。春から初めて、一年間の高校生活を書きたい。制服女子高生の超能力サイキック・バトル! 〈天使〉対〈硝視体〉の対決の解決を書きます。
 で、次の長編で「クローゼット」を回収する予定。

ニュースペースオペラの潮流

 気の合う4人が今話題の(?)ニュースペースオペラの楽しさを語った企画。にぎやかだったので、メモが飛浩隆インタビューの倍の枚数に……。内容より司会のすばらしさについて色々書きたいんだけど、それはmixi向きのネタなので淡々とメモを再現。


――何がNSOなのか、邦訳出てるので
『マインド・スター・ライジング』(ピーター・ハミルトン)はギリギリ。未訳のナイツ・ドーン三部作はばっちりNSOだけど、バロック・サイクル級の分量なのでたぶん訳されない。
『啓示空間』(アレステア・レナルズ
『シンギュラリティ・スカイ』(チャールズ・ストロス
『コラプシウム』(ウィル・マッカーシー
ニュートンズ・ウェイク』(ケン・マクラウド
『ゴールデン・エイジ』(C.ライト)


――定義は?
 海外ではラディカル・ハードSF/NSOとして、結構しっかりとした認識がある。80年代にラリイ・ニーヴンがハードSF的なスペオペを書き始めたんだけど、それまではスペオペというと、どちらかというと何でもありみたいな感じがあった。その後にでたイアン・バンクスのカルチャー・シリーズ(不運なことに角川が版権とっちゃって、一冊だけ出してあとは訳されてない)が決定的な流れを作った。90年代にはバクスターやマコーリー、イーガンといったハードSF中心の人たちがそういうスペオペを書き始めた。で、90年代半ばのピーター・ハミルトンのナイツ・ドーン三部作を皮切りに、イギリスを中心にNSOの流れが主流になった。

 源流に影響を与えた人々としては、ニーヴンやスターリングがいて、特にスターリングの『スキズマトリックス』はイギリスNSO作家の間では聖書のようなもの。あと、M.ジョン・ハリスンという、遅れてきたニュー・ウェーブといわれた人がいて、テクノロジーイデオロギーが一体となって社会が変革されるという話を書いた。

 ポスト・サイバーパンクという意味合いもあって、90年代以前の流れをすべて飲み込んでいる、幕の内弁当的ムーブメント。


――アメリカはどうなの
 ニュー・ウェーブにアメリカの作家を入れるのか議論するようなもの。狭義の人は入れないかも……。
 アメリカはビジョルドファインタックといったミリタリーSFに走っちゃった。ミリタリーでは、政治とか文明を外から見ないで、ドラマとして書くけど、イギリスでは冷めてて客観視することができている。それに、どうしても人間同士の争いが中心になってくるけど、イギリスではエイリアンやポスト・ヒューマンのような超人類的存在がどんどんでてくる。イギリスは共産主義よりの作家が多いけど、作品ではちゃんと相対化している。

 最近は、アメリカの方が立場が弱くて、British invasionみたいになっている。イギリスがメインの中で、それでもアメリカにも似たようなのがある(ウィル・マッカーシー、C.ライト)し、アメリカの作品も入れて語ってもいいんじゃない?


――シンギュラリティはNSOの特徴なのか
 ラディカル・ハードSFの最近の流れとして流行ではあるけど、べつにそれだけがNSOじゃない。
 ただ、以前は『幼年期の終わり』のように人類が進化するまでの過程を描く作品が多くて、じゃあその後は、という疑問に答える形で進化(シンギュラリティ)後の世界、ポスト・ヒューマンに取り残された人々の話を描く作品が出てきたということはある。

 シンギュラリティという概念はもともと92年にヴァナー・ヴィンジが学会で発表した論文で提唱された概念で、そこでヴィンジは「人間が、自らの知性を超える人口知性を作れば、それは自己発展して人間の理解の及ばないところへ言ってしまうだろう。そして、それは30年以内(今なら20年以内)に実現されるだろう」というようなことを言っていた。
 ヴィンジ自身にとってシンギュラリティは学問の対象であるみたいで、作中で主に扱うことはないみたい。
 ポスト・ヒューマンというのは地球産で人知を超えたもの(超AI,アップロードされた人間など)を指してると考えれば良くって、別に人間の進化形でなくてもいい。最近では、ハードSFの範囲でFTLとかを書くためのいいわけとして使ってるところもあるかも知れない。

 NSO=シンギュラリティという構図はマーケティング的に印象づけやすいので、多用されてるのかも。別に、みんなヴィンジを読んで書いたわけじゃなくて、同時発生的に現れたっていうのが正しい。


――お薦めの作品は
 堺三保:訳されてないのが好きなので……。ナイツ・ドーン三部作(ピーター・ハミルトン)は一巻が読み切れば面白いよ。でも、おすすめはページ数の短いものから。『シンギュラリティ・スカイ』と『ニュートンズ・ウェイク』とか。ただし、マジメに受け取っちゃ駄目、どちらもコメディの作品だから。
 『啓示空間』には本国でも賛否両論があって、説明口調の固まりが所々に入ってきて、流れが悪いのがきつい。時間がある人とか、ニーヴンやバクスターが好きな人にはお勧め。エドモンド・ハミルトンスペオペとは違うだろう。

 東茅子:チャールズ・ストロス大好きです。『シンギュラリティ・スカイ』の次の作品は、サイバーパンからシンギュラリティまでを描く作品ですよ。
 堺三保:ストロスっていつもコメディ・タッチなんですか?
 東茅子:そうです。
 堺三保:でも、日本人の感覚としては抑制がきいているというか、日本人が書いたらもっとめちゃくちゃになってますよね。
 東茅子:関西人じゃなきゃ大丈夫。

 『コラプシウム』は、今風のガジェットを使って昔のスペオペ的世界を描いているのが楽しいです。コラプシウムはともかくとして、ウェル・ストーンについてはかなり真面目に考えた設定のようです。
 続編は子供が活躍するからライトノベルっぽくなるんじゃないですか?(会場爆笑)
 →やっぱり日本的には色々半端かも。


 質疑応答では、

――ワイドスクリーン・バロックとの違いは
 ワイバロもNSOも一つのムーブメントであって、時代で使い分けるというのもあるし、ワイバロは作品の雰囲気がバロック風に、対してNSOはあくまでラディカル・ハードSFを目指してる。


――シンギュラリティSFならスタニワム・レムの『虚数』や『ゴーレム』の影響があるのでは*1
 たぶんない、というか作家が読んでなさそうだけど、真面目にシンギュラリティな話が読みたかったらレムを読むといいかも。


――短いNSOはないんですか
 『シンギュラリティ・スカイ』がギリギリ……(543p)。
 やっぱりオペラですから。


 で、結論。
 2000年代の標語はNSOということで……。

SF翻訳出版の現在

 なんだか長くなりすぎて、書く方もつらくなってきた……。NSOレポもぐだぐだになったし、ここからは再現もどきは諦め。


 「イーガンがダ・ヴィンチ・コードの十分の一は売れるような世の中じゃないと駄目ですよ」と古沢さんが攻めの一言を発して始まった企画だが、ほぼ同世代の大森、古沢が独自のペースで淡々とSF翻訳今昔、みたいなことになって、合宿と二つの本会企画を乗り越えた会場ではちらほらとつぶれている姿が……。


 SFは売れないという一般通念に対し、売れてないミステリーはSFよりも売れていないという指摘があった。出版不況の今日では、ほとんどの本が一万部も売れず、二人がデビューした頃は返本率3割でも大騒ぎだったのが、最近では初版の半分も売れないことすら珍しくないらしい。
 そんな状況の中、SFは点数が少ない上にジャンルの境界がはっきりしているために固定客=部数が把握しやすく、優良出版になりつつあるようだ。文庫は早川、創元の天下ではあるが、ハード・カバーなら他社も目をつけ始めた。ロット数が少ないほど、SFは真価を発揮する、という薄利多売の逆をつく商業戦略が成立するらしい。
 今はアメリカでも古い作家の短編集とかだと2000部程度しか刷らなくなっているとのこと。こうした小規模出版の背景には、少部数で印刷、増刷が可能になった印刷技術の発達もあるらしい(文庫では昔は5000部単位で増刷していたのが、今では1000部単位で可能になってきた)。
 ただ、翻訳者としては印税率の下落も相まって、昔は年間3,4冊翻訳で暮らせていたのが6冊くらい訳さないと専業で食べていくのは無理なご時世になったとか。


 ミステリも訳している古沢さんが、ミステリとSF翻訳の違いを語ってくれた。ミステリは科学的知識がいらないから楽だとか、SFの人の方がリテラシーは高く、上位互換だとか、好き勝手言っていた。
 昨年の牧慎司による「つまらない世界文学は許せないが、つまらないSFは許せる」発言といい、どうして京フェスではきわどい発言が連発されるのか……。


 早川、創元、国書刊行会、河出書房の四社が合同になってSFフェアを全国で展開している。最近の中心にあるのは短編集だが、大森さんたちが翻訳を始めた頃は短編集は売れないし出版しない時代であったということで、そうした嗜好の変化についても振れられた。
 たんに、シルヴァーバーグの法則に則った結果として、長編を読む体力を持つ人が減っただけでは……。
 それはいいとして、書店や図書館の外国文学担当の人に言わせると、SFは他の分野に比べて売れるらしい。他のジャンルに比べて、翻訳が一大勢力であるというのはあるのかもしれない。


 そんなこんなで、SF翻訳だけで食べていくには厳しい時代であり、SFは趣味、というのがこの企画の結論のようだ。

山本弘インタビュー

 『まだ見ぬ冬の悲しみも』しか山本弘の本は読んだことがなかったので、この企画は聞き流しつつ『グラン・ヴァカンス』でも再読しようかと思っていたが、思いの外面白かった。メモをもとにつらつら。


 と学会、ライトノベル、SFと精力的に活動している山本弘だが、あまりファン層が重なることはないらしい。→「生計を立てるには多角経営が必要ですよ」


 SFを書く理由として、他の作家のSFに対する不満があげられていたのが印象的だった。エンターテインメントとして、読者にわかりやすい+論理がしっかりしているSFを描くという姿勢が、反面教師的な話を交えつつ語られた。
 この主張の是非はともかくとしても、たまには肩の力を抜いた作品を読むのも楽しいのは確かである。


 正直なところ、山本弘については他でいくらでも詳細なレポートが書かれる気がするので、「バカな話を大真面目にやるのがSF」というNSOにつながるようなつながらないような一言をあげてお終い。

総括なんてしない

 全体通してとかあった方がいいんだろうけど、もう書くの疲れたし、これだけ書けば充実っぷりは伝わるだろうから割愛!

*1:富士川の勘違いでした。正確には”『虚数』収録の「GOLEM XIV」の影響があるのでは”(コメント欄参照)

京フェスレポート(合宿編・hatena版)

 一昨日の夕方から昨日にかけて行われた京都SFフェスティバル(http://kyo-fes.web.infoseek.co.jp/cgi-bin/Kyo_fes/wiki.cgi)のレポートである。

すべての道は京大に通じる

 昨年同様、SFのイベントを通じて知り合った友人と夜行バスで京都へ。今年は例年と違い、昼の本会が日曜に、合宿が土曜に行われる合宿先行型であったため、土曜の日中は喫茶店などで時間をつぶすことに。
 会場のある京大付近へ向かおうとするも、途中で道を教えてくれた方が間違ってたり、とりあえず前に進んでみたりと迷走を繰り返してしまった。吉田寮なんかも見ることができたから、まあいいか。

 SFコンベンションは初めてなのか、心細そうにしている大学生らしい人が結構いたので、無駄になれなれしくしてオープニングまでの時間を繋ぐ。SFはあまり知らないけど東浩紀が何か喋るらしいから、という理由で参加した人たちだったらしい。恐るべし、東効果。

おまえら、SF大会でこれやったら暗黒星雲賞だぞ

 オープニングは、著名人紹介用のメモすら用意されないぐだぐだっぷり。

 続いて行われた、初の試みになるSFクイズ大会。くじでランダムに決められたチームで、○×クイズを勝ち抜く方式、だったはずが……。

第一問「ニュー・スペース・オペラをすべて重ねると厚さが20cmを超える」
 でほとんどのチームが○を申告して脱落。曰く、
「検証するつもりだったのですが、一冊忘れてきたのでできません。でも、たしか17,8cmでした」

第二問「ファウンデーションの台湾でのタイトルは『基地』である」
 に残存5チーム中4チームが誤って優勝決定。

 30前後のチームが2問で1チームに減る○×クイズって……と会場騒然のところ、某編集者から、「日本と同じで違う訳題なんていくらでもある」と横やりが入って仕切り直し。
 その後も、自分たちで用意したメモを読み上げては首をかしげたり、そもそもメモが読めない司会進行に、先ほどの編集者の「暗黒星雲賞だぞ!」で、一同爆笑。

秋の夜長に

 合宿一コマ目は、シルヴァーバーグの法則*1に対抗すべく年齢制限が引き下げられた「若者の部屋」へ。コンベンション常連組と、主に東浩紀目当ての初参加者が集まって色々と。SF研はSFをやっていないので個人でやってる、という人もいれば、理系キャンパスにも文系キャンパスにもSF研がない大学も。

 二コマ目、「翻訳講座」では辞書の使い方から始まって、初心者が陥りやすいミスなどが丁寧に解説され、非常に勉強になった。しかし、いざ翻訳しようにも最近体力が……。

 三コマ目の「若者の知らないSF用語講座」には若者代表の一人としてゲスト出演。ハードSFと本格SFの違いといった今更聞けない用語から、EGOBOOのような聞いたことがない用語まで、大勢の人が歴史的経緯もふまえつつ面白おかしく解説。大いに勉強になった――以上に、自分の未熟さが痛感された。

 四コマ目は海外短編ベストの部屋へ。国書刊行会未来の文学や河出書房の奇想コレクションもきちんと押さえておかないと、あまりに多くの名作を逃すということに気づき始めた最近。その前に、SFマガジンくらい購読すべきなのかもしれないが。

 企画終了後は例によって大広間でいろいろな人と話を。先週行われたばかりのコンタクト・ジャパンの話などが面白かった。

*1:SFファンの平均年齢は一年に一つずつ上がる